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【年表】 長崎のキリシタン [トラベルスタディ]

【年表】

1549 聖フランシスコ・ザビエル、鹿児島に上陸。
1550 平戸にポルトガル船来航。聖フランシスコ・ザビエルが平戸に来る。
1567 長崎にキリシタン伝道。
1568 長崎に最初の教会(トードス・オス・サントス:諸聖人の聖堂)建立。
1571 長崎、ポルトガルに開港。6町を建てる。教会ができる。
1580 大村純忠、長崎と茂木をイエズス会に寄進。
1583 長崎に「ミゼリコルディアの組(慈悲の家)」創立。
1584 有馬晴信、浦上の地をイエズス会に寄進。
1587 豊臣秀吉の九州平定。伴天連追放令を発す。教会破壊。
1590 少年遣欧使節、長崎に帰る。
1592 初めて長崎奉行、長崎代官を置く。秀吉、長崎の教会の破壊を命ずる。
1597 西坂で二十六名が殉教。コレジヨ(大神学校)と印刷所、トードス・オス・サントスに移る。セミナリヨ(中等学校)は1598年頃トードス・オス・サントス(現春徳寺)にあり、後、有馬に移ったが1612年、再びこの地に戻ってきた。
1614 徳川秀忠、キリシタン禁令を下し、宣教師を追放、教会を破壊。有馬領の殉教。
1617 大村領の殉教始まる。
1618 長崎で殉教始まる。
1622 西坂で五十五名が殉教。(元和大殉教)
1626 このころ絵踏始まる。
1627 雲仙地獄の殉教始まる。
1633 「ミゼリコルディアの組(慈悲の家)」解散。
1637 天草・島原の乱。
1641 オランダ人を出島に移す。鎖国の完成。
1644 この頃、小西マンシヨ殉教、日本国内に神父は全くいなくなる。
1657 大村藩郡村でキリシタン603名逮捕(郡崩れ)。
1674 キリシタン禁制の高札立つ。
1708 ジョワンニ・シドッティ潜入、捕らえられる。
1709 新井白石、シドッティを小石川宗門改所で訊問。
1790 浦上でキリシタン19名、密訴により捕縛(浦上一番崩れ)
1839 浦上二番崩れ。
1854 日米和親条約。
1856 浦上二番崩れ。
1859 長崎開港令。
1862 横浜天主堂建立。日本二十六殉教者を列聖。
1865 大浦天主堂建立。浦上信徒名乗り出る(信徒発見)。
1866 プチジャン、日本代牧司教に任命され、香港で司教叙階。
1867 浦上四番崩れ(68名が捕縛される)。
1868 明治維新。五傍の立札掲示、キリシタンを禁ずる。
1873 明治六年、高札撤去。浦上キリシタン釈放。


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