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シュパイヤー大聖堂 西構え [ロマネスク美術]

シュパイヤー大聖堂の西側ファサード(被災前)

ケルン ヴァルラフ=リヒャルツ美術館(2657) 1606年のデッサン


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『ハインリッヒ二世の典礼書』 [ロマネスク美術]

《キリストの墓を訪れる聖女たち》 『ハインリッヒ二世の典礼書』 ミュンヘン国立図書館蔵 1002-1014年

クラウトハイマーは、中世建築の造形原理を考える際、「キリストの墓を訪れる聖女たち」の場面に表された建築モチーフを子細に検討した。この場面には、しばしば聖墳墓教会のアナスタシス・ロトンダが表されている。例えば、『ハインリッヒ二世の典礼書』の場合、最下層では「キリストの墓」の下部が描かれ、その上の層には四つの窓を取り囲む円柱列、すなわち「環状ギャラリー」が配されている。その上の四つの窓は「クリアストーリー」であり、ここまでがアナスタシス・ロトンダの内観である。その上では、突如として内観から外観へと替わり、環状ギャラリーの外観と九つの窓によって表されるクリアストーリーの外観が積み重ねられている。さらにその上には「ドーム」が描かれ、ここまでがロトンダの外観である。だが、ドームの上では再び内観となり、「キリストの墓」の上部が描かれている。

 


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お知らせ [その他]

今年もお花見を心待ちにして、桜の開花予想に耳をそばだてる季節となりました。皆様にはご健勝にてお過ごしのことと存じます。

明日から長崎・上五島の教会巡りに行ってまいります。そのため、4月1日までブログの更新ができません。東京に戻りましたら、現地で撮影した写真と旅行記を掲載したいと思っております。

お陰さまで、今年度の講義・行事も全て無事に終えることができそうです。皆様の温かいご配慮に心より感謝いたしております。今後ともよろしくお願い申し上げます。

小倉康之拝


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エルサレムの聖墳墓教会 [古代・初期キリスト教美術]

エルサレム、聖墳墓教会のアナスタシス・ロトンダ

11世紀初頭に破壊される以前のエルサレムの聖墳墓記念聖堂 巡礼者によって描かれた平面図

キリスト教世界における最も重要な霊廟建築がエルサレムの聖墳墓教会、アナスタシス・ロトンダであったことに関して異論を差し挟む余地はないであろう。初期キリスト教時代から中世を通じて、キリストの墳墓であるアナスタシス・ロトンダは複製され続け、多くの遺構が現存している。エルサレムの聖墳墓教会は、コンスタンティヌス大帝により4世紀に建設された聖地のマルティリウム群の中核をなす建物である。これは岩に掘られたキリストの墓、コンスタンティヌスの母后ヘレナによる真の十字架発見の場所、ゴルゴダの丘にある磔刑の場所の三カ所を同時に記念する建築であった。これらに対応して、聖墳墓を覆うアナスタシスと呼ばれる円形堂、聖十字架断片崇拝の儀式が行われた中庭、地下に十字架発見の場所のあるバシリカの3つの部分から構成されていたと考えられている。3番目のマルティリウムと呼ばれるバシリカにはギャラリーがあった、とカイサリアのエウセビオスが記録している。これと同様、4世紀に建設されたアナスタシス・ロトンダにも階上ギャラリーがあったと考えられている。また、アナスタシス・ロトンダの内部にはキリストの墓を覆う円柱に支えられた天蓋があり、聖墳墓は二重の構築物によって覆われていた。内部の小規模な構築物はトゥグリウムtugriumと呼ばれている。聖墳墓教会の復元に関しては1914年のヴァンサンとアベルによる復元図が一般的であり、コナントもこれを踏襲している。他方、クラウトハイマーはこれらと異なる復元案を提示しているが、いずれにせよ、アナスタシス・ロトンダの象徴的建築モチーフがギャラリーであったという点では変わりがない。

 

聖墳墓教会の特質

1. 円形・八角形プラン 
2. 垂直の中心軸が空間構成を支配(集中式) 
3. ドーム 
4. 環状ギャラリー 
5. 多層構成(三層または四層) 
6. 数の象徴的意味(8:復活、12:十二使徒) 
7. イェルサレムのオリジナルに基づく寸法 
8. 墳墓・祭壇

 

アナスタシス・ロトンダの複製建築

フランス, ヌーヴィー・サン・セピュルクル, 聖墳墓教会, 11世紀

イギリス, ケンブリッジ, 聖墳墓教会, 12世紀初頭(あるいは1130年頃)

ドイツ, フルダ, ザンクト・ミヒャエル教会, 820-822年(地上部分は11世紀に改築)

ドイツ, パーダーボルンのブスドルフ教会(マインベルク司教の聖墳墓教会), 11世紀前半


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【リンク】 イギリス・アイルランドのロマネスク彫刻 [関連サイトのご紹介]

イギリス・アイルランドのロマネスク彫刻

以下のサイトにアクセスすると、イギリスとアイルランドのロマネスク彫刻の画像を大量に見ることができます。

全て鮮明な画像で、英語の比較的詳しい解説文が添えられており、たいへん貴重な画像データベースです。

http://www.crsbi.ac.uk/


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ケンブリッジの聖墳墓教会 [ロマネスク美術]

ケンブリッジの聖墳墓教会

12世紀初頭のロマネスク建築。エルサレムの聖墳墓教会アナスタシス・ロトンダを模して建設された。八本の太い円柱が中央部のドームを支える円形堂である。内部立面は多層構成となっており、環状周歩廊の上に窓のない階上ギャラリーが配されている。フランスの作例、ヌーヴィー=サン=セピュルクルの教区教会堂(聖墳墓教会)と比較すると、聖墳墓記念聖堂の基本構成が理解できる。リチャード・クラウトハイマーの1942年の論文を理解するには、この建築の図版は必須。

以下のサイトから写真をダウンロードすることができます。

http://www.crsbi.ac.uk/ed/ca/cahsc/

http://www.druidic.org/camchurch/churches/camsepulch.htm

http://www.christianheritageuk.org.uk/group/group.aspx?id=2399

http://www.antiqueprints.com/proddetail.php?prod=e8199


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サン・ペドロ・デ・ラ・ナーベ聖堂 柱頭彫刻(イサクの犠牲) [初期中世美術]

イサクの犠牲 「創世記」 22:1-19

 

サン・ペドロ・デ・ラ・ナーベ聖堂 柱頭彫刻(イサクの犠牲)

アブラハムは旧約聖書における最初の偉大なユダヤの族長であり、神の命でカナンに赴いた。飢饉を逃れ、エジプトに滞在、その後、略奪者によって低地の町々が襲われ、甥のロトが捕らえられた際、300人を武装させて夜襲を行い、敵をくだしてロトと盗まれた財産を取り戻して凱旋。王にして祭祀者であるメルキゼデクがパンと葡萄酒でアブラハムを祝福する場面は「最後の晩餐」の予型とされる。年老いてから妻のサラが息子のイサクを産む。3人の主の御使がそのことを預言しにくるが、これは「受胎告知」の予型と見なされる。(予型論・・・旧約聖書と新約聖書の間に平行関係を見出す考え方。旧約聖書の主題の中に、新約聖書の「予兆」をみとめる。)アブラハムの信仰を試すために、神は息子イサクを犠牲として火にかけるようアブラハムに命じる。アブラハムはロバに乗り、イサクは祭壇の火のための薪を携えて生贄の場に向かう。アブラハムはイサクを縛り、祭壇の上に横たえて小刀を抜く。まさにその時、天使が現われて、アブラハムの手を押しとどめて言う。「あなたの子をさえ、わたしのために惜しまないので、あなたが神を恐れる者であることを私は今知った。」 アブラハムが目をあげると、一頭の牡羊が藪にかかっているのが見えたので、彼はこれを代わりに生贄とした。アブラハムが意図した犠牲は、神によるキリストの犠牲である「磔刑」の予型。薪を運ぶイサクは十字架をになうキリスト、牡羊は磔刑にされたキリスト、やぶの棘は茨の冠の予型。アブラハムは息子イサクを犠牲にしようとした小刀を持物とする。

以下の参考図版はサン・ペドロ・デ・ラ・ナーベ聖堂の柱頭彫刻と文様が一致している点で注目される。
Helmut Schlunk/ Theodor Hauschild : Hispania Antiqua- Die Denkmäler der frühchristlichen und westgotischen Zeit, Mainz 1978より引用。

Jaén. Museo Arqueológico. Gürtelschnalle aus Bronze mit Vogeldarstellungen.


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クラウトハイマーの建築図像学 [書誌情報]

 建築図像学は美学・美術史学の分野において「空間表象」の問題を扱うための方法論である。1942年、R. クラウトハイマーの論文「イントロダクション:中世建築の図像学」を起点とし、ドイツにおいてG. バントマン著 『意味の担い手としての中世建築』 (初版1951年, 第10版1994年)として結実した。しかし、後継者は極めて少なく、わが国では未だ翻訳も行われていない。

 リチャード・クラウトハイマーは次のように主張した。「ルネサンス以降、建築を商品・不動産・娯楽といった価値観ではかり、機能・構造・デザインといった術語を用いることが慣例化している。しかしながら、中世の建築を考える際には、これらの概念のみを当てはめることは妥当ではない。中世の教会建築において重視されるのは、象徴的意味内容symbolical significance、固有のデディケーションspecific dedication、宗教上の特定の目的specific religious purposeであり、中世の文献においてデザインや構造が強調されることはなかったのである。ただし、実用的機能、典礼上の機能に関しては常に考慮されていた。それは宗教上の意味内容の問題に繋がるからである。」(クラウトハイマー, 前掲論文の序文, 要約)

 建築図像学でこれまで扱われてきたテーマの一つに、ドームの象徴的意味の問題がある。ロマネスクの建築家・建築工匠たちは、構造上の危険があるにも関わらず、石造ヴォールトの架構を試みた。確かに、石造の天井によって耐火性が向上したことは事実である。だが、シュパイヤー大聖堂のように巨大な内部空間を有する建築の場合、内部からの延焼は記録されていない。むしろ、外部の火が、ヴォールトの上にある木造屋根に燃え移ったことにより、石造ヴォールトが崩落することが多かった。したがって、少なくともドイツでは、耐火性の問題はあまり重要とは言えないのである。では、ヴォールト崩落の危険を冒してまで、木造屋根から石造ヴォールトへの変更にこだわったのは何故であろうか。これは、聖遺物を主祭壇の周辺に安置し、バシリカ式聖堂の内部を王家や聖俗諸侯の墓所とすることが一般化したためだと考えられる。すなわち、盛期ロマネスクの石造ヴォールトは、天を象徴し、霊廟建築と意味上の関連性を有するものだと推察される。

 中世の人々は建築芸術に関する言説をほとんど残さなかった。そのため、中世建築における空間表象の問題は、文献学的なアプローチが困難である。したがって、既存の専門分野の垣根にとらわれず、一つの課題を総合的に検討し、最も妥当な答えを見出そうとする態度が求められる。だが、現実的な問題としては、主として工学の分野に属する建築史と人文科学としての美術史を並行して学ぶのは困難である。また、神学、歴史学等の成果も援用しなければならず、学術的な精度を保つためには、忍耐強く調査・研究を進めてゆかざるを得ない。


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ロマネスク・ゴシック美術の旅-ライン河流域の教会堂- [トラベルスタディ]

ロマネスク・ゴシック美術の旅-ライン河流域の教会堂-

まだ長崎へのトラベルスタディが終わっていないのに気が早いのですが、来年度のトラベルスタディを計画しております。9月上旬で検討しておりましたが、ハイシーズンでかなり予算がかかってしまうようです。来年度、3月末がよいのではないかと考えています。

見学予定の教会堂

シュパイヤー大聖堂 

マインツ大聖堂 

ヴォルムス大聖堂 

マリア・ラーハ修道院聖堂

リンブルク・アン・デア・ラーン大聖堂

リンブルク・アン・デア・ハールト修道院聖堂

フラインスハイム(城壁に囲まれた中世の街 )

ゼーバッハ修道院聖堂

ニーダーキルヒェンの教会堂

オッターベルク修道院聖堂

ケルンのロマネスク諸聖堂

アーヘン大聖堂

トリーア大聖堂

アンダーナッハの教会堂

その他検討中


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【書誌情報】 数の象徴的意味/メトロロジー関連文献 [書誌情報]

ANSCHÜTZ, Ferdinand: Alte Maße und Gewichte, in: Pfälzer Heimat 14, 1963, 53-57.

ARENS, Fritz Victor: Das Werkmaß in der Baukunst des Mittelalters, Diss., Würzburg 1938.

BERRIMAN, A. E.: Historical Metrology, London 1953.

BEZOLD, Gustav von: Zur Geschichte der romanischen Baukunst in der Erzdiözese Mainz, in: Marburger Jahrbuchfür Kunstwissenschaft 8/9, 1936, 1-88. (Die Klosterkirche zu Limburg a. d. H.: 57-61.)

BINDING, Günter: Früh- und hochmittelalterliche Bauvermessung, in: Die historische Metrologie in den Wissenschaften, hrsg. v. Harald Witthöft u. a., St. Katharinen 1986, 62-74.

BUTLER, Christopher: Number Symbolism, London 1970.

HANFTMANN, B.: Die Werkpläne des Würzburger Domes, in: Archiv des Historischen Vereins von Unter- franken und Aschassenburg 68, 1929, 343-374.

ENDRES, Franz Carl/ Annemarie Schimmel: Das Mysterium der Zahl. Zahlen symbolik im Kulturvergleich, 9. Aufl, München 1996.

ERNST, Ulrich: Zahl und Maß in den Figurengedichten der Antike und des Frühmittelalters. Beobachtungen zur Entwicklung tektonischer Bauformen, in: Mensura. Mass, Zahl, Zahlensymbolik im Mittelalter, hrsg. v. Albert Zimmermann, Berlin/New York 1983, 310-332.

GROSSMANN, Ursula: Studien zur Zahlensymbolik des Frühmittelalters, in: Zeitschrift für katholische Theologie 76, 1954, 19-54.

HECHT, Konrad: Der St. Galler Klosterplan - Schema oder Bauplan?, in: Abhandlungen der Braunsch- weigischen Wissenschaftlischen Gesellschaft 17, 1965, 165-206.

HECHT, Konrad: Zur Maßstäblichkeit der mittelalterlichen Bauzeichnung, in: Bonner Jahrbücher 166, 1966, 253-268.

HECHT, Konrad: Die Sylvesterkapelle zu Goldbach, ein Schlüsselbau für Maß und Zahl in der Baukunst des frühen Mittelalters, in: Abhandlungen der Braunschweigischen Wissenschaftlischen Gesellschaft 28, 1977, 137-186.

HECHT, Konrad: Zur Geometrie des St. Galler Klosterplanes, in: Abhandlungen der Braunschweigischen Wissenschaftlischen Gesellschaft 29, 1978, 57-96.

HECHT, Konrad: Zum römischen Fuß, in: Abhandlungen der Braunschweigischen Wissenschaftlischen Gesellschaft 30, 1979,107-137.

HECHT, Konrad: Fußmaß und Maßzahl in der frühmittelalterlichen Baukunst und Wandmalerei des Bodenseegebietes, in: Schriften des Vereins für Geschichte des Bodensees 97, 1979, 1-28.

HEINIMANN, Felix: Mass - Gewicht – Zahl, in: Museum Helveticum 32, 1975, 183-196.

HEIT, Alfred/ Klaus Petry: Bibliographie zur Historischen Metrologie, Teil 1-2, Trier 1992/1995.

KLINKENBERG, Hans Martin: Zum Ploblem des Zahlbegriffs im früheren Mittelalter (9.- 12. Jahrhundert), in: Die historische Metrologie in den Wissenschaften, hrsg. v. Harald Witthöft u. a., St. Katharinen 1986, 31-38.

KÜMMERLING, Harald: Mensura hominis quae est angeli. Die Masseinheit des Hauses Gottes, in: Mensura. Mass, Zahl, Zahlensymbolik im Mittelalter, hrsg. v. Albert Zimmermann, Berlin/New York 1983, 455-458.MEYER, Heinz: Die Zahlenallegorese im Mittelalter. Methode und Gebrauch, München 1975. 

MEYER, Heinz/ Rudolf Suntrup: Lexikon der mittelalterlichen Zahlenbedeutungen, München 1987.

NAREDI-RAINER, Paul von: Maßeinheit und Zahlenbedeutung in der Architektur, in: Die historische Metrologie in den Wissenschaften, hrsg. v. Harald Witthöft u. a., St. Katharinen 1986, 75-95.

NAREDI-RAINER, Paul von: Architektur und Harmonie. Zahl, Maß und Proportion in der abendländischen Baukunst, 5. Aufl., Köln 1995.

PFEIFFER, Elisabeth: Zur Genese und Präzion der Baumaße Fuß und Zoll, in: Die historische Metrologie in den Wissenschaften, hrsg. v. Harald Witthöft u. a., St. Katharinen 1986, 96-107.

RATHOFER, Johannes: Structura codicis - ordo salutis. Zum Goldenen Evangelienbuch Heinrichs III., in: Mensura. Mass, Zahl, Zahlensymbolik im Mittelalter, hrsg. v. Albert Zimmermann, Berlin/New York 1983, 333-355.

SCHÖNE, Wolfgang: Das Verhältnis von Zeichnung und Maßangaben im Kirchengrundriß des St. Gallener Klosterplans, in: Zeitschrift für Kunstwissenschaft 14, 1960, 147-154.

SUNDERLAND, Elizabeth Read: Symbolic Numbers and Romanesque Church Plans, in: Journal of the Society of Architectural Historians 18, 1959, 94-103.

TAEGER, Burkhard: Zahlensymbolik bei Hraban, bei Hincmar - und im'Heliand'? Studien zur Zahlensymbolik im Frühmittelalter,Diss., München 1970.

THOMÄ, Walter: Über den Maßstab in der bildenden Kunst, in: Zeitschrift für Ästhetik und allgemeine Kunstwissenschaft 14, 1964,397-404.

UEBERWASSER, Walter: Der Begriff des 'rechten Maßes' in der mittelalterlichen Kunst, in: Sitzungsberichte der kunstgeschichtlichen Gesellschaft Berlin, Oktober 1934 bis Mai 1935, 22-23.

WIEMER, Wolfgang: Das Maßsystem der Abteikirche Ebrach, in: Kunstchronik 45, 1992, 1-17, 37-49.

ZIMMERMANN, Albert: Maß und Zahl im philosophischen Denken des Mittelalters, in: Die historische Metrologie in den Wissenschaften, hrsg. v. Harald Witthöft u. a., St. Katharinen 1986, 7-30.


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