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【日本近代教会建築】 横浜天主堂 [トラベルスタディ]

横浜天主堂

正式な名称は横浜の聖心聖堂(L'Eglise du Sacré-Coeur)。文久元年(1862年)献堂。安政五年(1858年)、沖縄で日本語を学んでいたパリ外国宣教会のジラール神父が日本教区長に任命され、翌安政六年、フランス総領事館の通訳兼司祭として日本に入国した。ジラール神父は日本での布教を企て、教会堂の建設を計画した。そして、文久元年、横浜の居留地に開国後初めての天主堂が建設された。


その外観は当時ヨーロッパで主流をしめていた、新古典主義、歴史主義の建築の流れを汲むもので、バシリカ式(ただし身廊側壁に高窓はなかったようである)の聖堂に、古代ギリシア・ローマ風の神殿のファサードが組み合わされ、当時の日本人の目を驚かせた。しかし、その背後に立ちあがる切妻は、背後の身廊の形態を反映しておらず、ルネサンスかバロック建築のような印象も与えている。外観から察する限り、内部は初期キリスト教建築以降の伝統を踏まえた三廊式のプランだったと考えられる。画面奥にはトランセプト(交差廊)らしき張り出し部分も見出される。


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日本近代教会建築 (1)   [トラベルスタディ]

日本近代の教会堂

長崎へのトラベルスタディが終了し、東京に戻って参りました。長崎には幕末・明治・大正期の教会堂が数多く残されていますが、その中でも棟梁建築家鉄川与助の代表作など、たいへん素晴らしい建築を見ることができました。天候に恵まれ、沢山の写真を撮って参りましたので、4月中は西洋中世の建築に関する記事・写真と並行して、長崎の近代教会建築をご紹介していきたいと思います。

ロマネスク、ゴシック、ルネサンス様式などを基調とする日本近代の教会は、基本的には歴史主義(過去の建築様式のリヴァイヴァル)の建築と言えますが、西洋における歴史主義建築の多くが、単に過去の様式を模倣したに過ぎない(中には良いものもありますが・・・)のに対し、何か観る者の心に強く訴えかけるものがあります。それは、長い迫害時代が終わり、ようやく禁教令が解かれた直後、かつて潜伏キリシタンであった人々の「自分たちの教会堂を持ちたい。」という宗教的情熱が建築の精神的な核となっているからではないでしょうか。

苦しい生活の中から資金を出し合い、労働奉仕によって信者が煉瓦を一つ一つ積み上げ、ようやく完成した聖堂は、弾圧と殉教の歴史に終止符を打つキリシタン信仰の記念碑であったと言えます。鉄川与助はキリスト教徒ではありませんでしたが、西洋の建築技術と様式を短期間で自家薬籠中のものとした、進取の精神に富む建築家でした。激動の時代を生きた幕末・明治の元潜伏キリシタン、建築家や大工たち、長崎の信者の救済に生涯を捧げた神父たちが教会堂建設にかけた思いが、私たちの心を捉えます。

拙い写真と文ではありますが、その魅力を少しでもお伝えできればと思います。

 


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【早大エクステンションセンター夏講座講義概要】 ゴシックの美術と建築-大聖堂の意味とかたち- [早大エクステンションセンター]

ゴシックの美術と建築-大聖堂の意味とかたち-

曜日: 木曜日
時間: 13:30-15:30
回数: 8回
日程: 7/20-8/17, 8/24-9/14

■到達目標
中世ヨーロッパの建築は、柱や天井などの諸要素が象徴的な意味を担っており、中世の世界観を表現しています。本講座では、大聖堂のシンボリズムを読み解くための手法として、中世美術史の基礎から応用までを系統的に学びます。様式史と図像学の習得により、ゴシック美術の本質に迫ることを目標とします。

■講義概要
パリ、バルセロナ、ウィーンなど、古代・中世以来の都市の多くで街の中心にそびえ立つゴシックの大聖堂を見ることができます。今もその偉容を誇るカテドラルは、近代の芸術家たちにも多大な影響を与えました。中世の美術と建築を理解することは、西洋の精神文化の深層へと至る道の一つだと言うことができます。本講座では、多数の写真を鑑賞し、まずゴシック建築の空間構成を把握します。その上で、ゴシックのステンドグラスや彫刻が、建築の象徴的意味とどのように関わっていたのかを明らかにしていきます。

■各回講義予定
第1回  ロマネスクからゴシックへ -初期ゴシック様式の成立-
第2回  ゴシック建築の構造と様式
第3回  ゴシック建築のシンボリズム
第4回  ゴシック彫刻
第5回  ゴシックのステンドグラス
第6回  ゴシックの工芸
第7回  ゴシックの写本挿絵と壁画
第8回  ゴシックからルネサンスへ -初期ルネサンス様式の成立-

http://www.waseda.jp/extension/


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