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【美術建築用語】 小型ギャラリー(続き) [美術・建築用語集]

小型ギャラリー

○Zwerggalerie (dwarf gallery)

  19世紀の建築家ハインリヒ・ヒュプシュが命名?

  日本語訳: 小人ギャラリー(矮小ギャラリー)または小型ギャラリー

関連用語:

○eaves gallery (軒ギャラリー)

○circular gallery (環状ギャラリー)

 

シュパイヤー大聖堂のアプシス 小型ギャラリーの作例

シュパイヤー大聖堂のアプシス 断面図

 

マインツ大聖堂付属二重礼拝堂 外観 小型ギャラリーの作例

 


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【人名】 ベネディクトゥス八世 [美術・建築用語集]

教皇ベネディクトゥス八世 (在位1012-1024)

1012年になると、ハインリヒ二世はベネディクトゥス八世を教皇に選び、ベネディクトゥス八世はハインリヒ二世の皇帝戴冠を執り行い、これによって再び皇帝と教皇との連携が成立した。皇帝と教皇はキリスト教世界の統一と拡大を目論み、教会改革が断行され、聖職売買が禁止された。さらに、ベネディクトゥス八世は自ら軍隊を率い、サラセン軍の襲撃を退けた。また、ノルマン人と同盟し、南イタリアへ侵攻しようとするビザンティン帝国軍を封じ込めるなど、軍事的成功をおさめている。リポイ修道院長オリバは、このような改革派教皇のもとで活躍した。クリュニー修道院長オディロンは、994年から1049年に至る長い在職期間中、教皇との交渉を重ね、クリュニー修道院と傘下の従属院の免属特権を得ることに成功し、教皇直属の修道院となった。1020年代初頭、教皇ベネディクトゥス八世は「クリュニーの自由」を声高に宣言している。


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【美術・建築用語】 マスクーラ [美術・建築用語集]

マスクーラ:貴賓席(イスラーム建築用語)

 

マスクーラ(貴賓席)は金曜モスクの核を成し、中央ミフラーブの前に特別に仕切られた区画。マスクーラのないモスクも多く、可動式のものもあった。

 

参考文献: 深見奈緒子 『イスラーム建築の見かた 聖なる意匠の歴史』 東京堂出版、2003年
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【美術・建築用語】 ミフラーブ  [美術・建築用語集]

ミフラーブ(イスラーム建築用語)

 

・ミフラーブはメッカの方角を指し示す。 

・モスクの奥の壁がキブラ壁となるが、その壁にミフラーブが取り付けられる。

・上部がアーチ型のニッチとなっているものが多く、キリスト教会堂のアプシス、仏教寺院の龕との関連性が指摘されている。

・新説としては、メディナの預言者のモスクにあるムハンマドの墓と玉座のイメージと重ね合わされているとする考え方もある。(玉座は4本の柱の上にドームが載っていたらしい。)

・それゆえ、ミフラーブと死者を葬る墓との関連性が指摘されている。

・一つのモスクに一つのミフラーブがあるとは限らず、複数のミフラーブが並ぶ形式もある。

・ミフラーブが部屋になっていることもあり、そこにカリフが入っていくという儀式もあった。

・植物文様、幾何学紋、文字紋によって装飾されることが多い。

 

参考文献: 深見奈緒子 『イスラーム建築の見かた 聖なる意匠の歴史』 東京堂出版、2003年


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【人名】 プッチ・イ・カダファルク [美術・建築用語集]

【プッチ・イ・カダファルク】 Josep Puig i Cadafalch

1909年から1918年にかけて『カタルーニャ・ロマネスクの建築』全3巻(共著)を著し、カタルーニャにおけるロマネスク建築研究の基礎を築いた研究者。「第一ロマネスク」という様式概念を提唱し、以後、プレ・ロマネスク期、初期ロマネスク期、盛期ロマネスク期・・・という厳密な時代区分が行われるようになった。各国で講演し、その後の中世美術史・建築史研究に多大な影響を及ぼした。プッチは建築家としても知られ、ガウディ、ドゥメナクと並ぶムダルニズマ(モデルニスモ)建築の三巨匠の一人として位置付けられている。ロマネスク、ゴシックを基調とした中世主義的な作風で知られた。棘の家(写真)、アマッリェー邸(バッリョー邸/カサ・バトリョの隣の建物)など、数多くの住宅建築を手がけた。1929年のバルセロナ万博(ムンジュイック/モンジュイックの丘)の全体計画を担当し、カタルーニャの言語・文化の復興を目指したカタルーニャ主義を唱道した。カタルーニャ連合議会(マンクムニタット)第二代議長を務めるなど、政治家としても多大な影響力があったが、プリモ・デ・リベーラのクーデターにより失脚、1936年には亡命を余儀なくされた。その後は美術史家・建築史家として活躍し、数多くの著書・論文を発表した。晩年はバルセロ―ナに戻り、カタルーニャ文化の復興に尽力した。


【美術・建築用語】 小型ギャラリー [美術・建築用語集]

環状ギャラリーRundgalerie, circular galleryと小型ギャラリーZwerggalerie, dwarf gallery (小人ギャラリー, 小ギャラリー、あるいは矮小ギャラリーとも訳される)と軒ギャラリーeaves galleryは、しばしば明確な概念規定がなされないまま用いられる傾向にあるが、本論文では以下のように定義して用いる。
「小型ギャラリー」、すなわち主に外壁の彫塑的建築モチーフとして水平帯を形成する小型のギャラリー(通例、小アーケードの背後に通路を備える)は、その形態的特徴を表す用語である。これは装飾的要素として、小型のギャラリーが比較的高所に、かつ明確な機能を持たずに(ないし持たないと想定される)用いられている場合に使用される傾向にある。したがって、「軒ギャラリー」 は軒の近くに配された小型ギャラリーを意味し、小型ギャラリーの一種として位置付けられる。小型ギャラリーという用語は、主として様式史上の分析に使われることが多く、発生論的な見地から議論される傾向が顕著である。(Kahl 1939; Kubach 1982を参照。) 
一方、「環状ギャラリー」という術語は、ギャラリーが視覚的に「環(リンク)」を成すべく建築全体を取り巻く場合に用いられ、主に建築図像学の立場において使用される。(Krautheimer 1942を参照。) この建築要素は、マルティリウム、特にイェルサレムの聖墳墓教会、アナスタシス・ロトンダとその複製建築において顕著に見られ、霊廟建築において「意味を担った建築要素Bedeutungsträger」として用いられる。したがって、環状ギャラリーという語は、本来リンクを成すギャラリーという視覚的イメージを捉えた言葉であるが、建築図像学においては霊廟という意味を担った建築要素として定義される。リチャード・クラウトハイマーRichard Krautheimerの見解によれば、環状ギャラリーとは、マウソーレーウムの環状円柱列encircling colonadeと本質的に同じ意味内容を担った建築要素であると考えられる。Kurautheimer 1969, 13を参照。


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【人名】 ハインリヒ四世 [美術・建築用語集]

Heichrich IV. (在位1056-1106年) 1056年に父王ハインリッヒ3世が急逝したために6歳でドイツ王に即位。母后アグネス等による摂政時代にはクーデターや政変が続いた。1065年に親政を開始するが、蚕食された王領の回復を企図して諸侯の反発にあい、1073年から1075年にかけてザクセン反乱による王権の危機を迎えた。続く1076年には叙任権闘争が勃発、国内は再び内乱状態となる。奇跡的に乱を鎮めたハインリッヒ4世は1081年以降、数次に亘ってイタリア遠征を行い、1084年には教皇グレゴリウス7世を追放し、対立教皇クレメンス3世によって帝冠を受けた。1080年代からは比較的安定した時代を迎えるが、一時期息子であるコンラートに政権を強奪され、さらに最晩年には息子のハインリッヒ5世が反乱を起こしたため、陣中において病没した。


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【人名】 ハインリヒ三世 [美術・建築用語集]

Heinrich III. (在位1039-1056年) 黒王、敬虔王とも呼ばれる。1039年にドイツ王として即位。皇帝による教会改革を強く推進し、クリュニー改革を支持した。スートゥリ公会議では聖職売買等で混乱していた教皇庁の改革を断行、鼎立していた3人の教皇を罷免して教皇クレメンス2世を教皇位につけた。国内でも諸侯の戦いを抑え「神の休戦」運動を展開。神聖ローマ帝国の政治的、文化的な最盛期を現出した。


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