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レオナルド・ダ・ヴィンチの円形要塞 [ルネサンス美術]

『レオナルドの世界』の担当部分、建築の章が校正の段階に入りました。レオナルド・ダ・ヴィンチの建築家としての業績を網羅し、歴史的に位置づけるのが目標です。

 

レオナルドの手稿(ノート)には、教会建築の鳥瞰図や平面図が数多く描かれています。これらは、ルネサンス建築に関する文献に頻出します。しかし、レオナルドが城郭建築の傑出した設計者であったという事実は、まだ十分には認識されていないようです。

今回のレオナルド展では、フランチェスコ・ディ・ジョルジョ・マルティーニ(1439-1502)という建築家の著書、『建築論』に関わる展示があるようです。日本ではあまり知られていませんが、フランチェスコ・ディ・ジョルジョは、レオナルドやブラマンテに多大な影響を与えたルネサンスの最も重要な建築家の一人です。特に、城塞・宮殿建築の分野に優れ、ウルビーノのパラッツォ・ドゥカーレの建設に携わったとされていますが、どの程度、どの部分に関わったのかは定かではありません。

フランチェスコ・ディ・ジョルジョからレオナルド・ダ・ヴィンチへ・・・イタリアの軍事建築の系譜は、それらが当時の国家機密に属する問題であるだけに、記録に残りにくく、全容の解明は極めて難しいのが現状です。しかし、レオナルドによるこの図面、円形要塞の構想を見る限り、彼がフランチェスコ亡き後、イタリアで最も優れた築城家であったことは明らかでしょう。

この要塞は、当時普及しつつあった重火器への慎重な配慮がなされ、地下通路を巡らせ、指令の伝達や人員の移動、弾薬の補給が速やかに行えるよう設計されています。同心円上に環状の建物と堀が配され、内部にいる者には明快なプランなのですが、外部からは中の様子をうかがい知ることができません。詳しい説明は省きますが、近代的な要塞としてのさまざまな工夫が凝らされています。もし実現されていれば、これを攻略することは極めて難しそうです。

レオナルドには、天文、地理、建築、軍事技術の幅広い知識がありました。日本の戦国時代には、これらに用兵の才を加えた人を競って軍師に用いています。チェーザレ・ボルジアなど、当時の為政者がレオナルドを自陣に迎え入れたことは、画家としての名声だけでなく、建築家・軍事技師としての役割も強かったことを示していると思われます。

さて、フランス王フランソワ一世がレオナルドを招き、フランスが手にしたものは《ラ・ジョコンダ(モナ・リザ)》など、数点の傑作だけだったでしょうか。それとも、他に何か目的があったのでしょうか。攻め手の方がむしろ、レオナルドの築城術、軍事技術の水準を、身を持って知っていたかもしれません。先述の円形要塞には半月保と呼ばれる張り出し部分があり、これによって十字砲火を可能とし、死角のない防御策を求心的平面によって実現しています。これは16世紀以降、星型要塞(日本では五稜郭が好例)として普及したアイディアですが、レオナルドの円形要塞は、プランの明快さと地下道によって、内部の人間の動線が絡まないように工夫され、既に完成段階に至っています。

ただし、建築家レオナルドの築城術、軍事技師としての斬新なアイディアは、解読困難な鏡文字で書かれていたりして、フランスでは直接の後継者を生まなかったようです。レオナルドは手稿を弟子のメルツィに託し、それによって建築家レオナルドの図面は、ほとんど理解されることなく、分散し、今日に至ります。

戦乱の世に生まれたレオナルドは、否応なしに戦争に巻き込まれながら、戦争を嫌悪していたとも言われています。画家としての作品は残したくとも、軍事技師、建築家としての名声と知識は、できれば封印してしまいたかったのかもしれません。

フランス・ルネサンスの建築家が、レオナルドの建築術、要塞の設計方法を会得することができたなら、その後の歴史はどのように変わっていたのでしょうか。想像の域を出ないので、今回の出版では踏み込まなかった疑問のいくつかを、備忘のために、ここに記しておきます。


レオナルド・ダ・ヴィンチ MS B 「建築のスケッチ」 [ルネサンス美術]

レオナルド・ダ・ヴィンチ MS B 「建築のスケッチ」

 

 


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ブラマンテ、新サン・ピエトロ大聖堂計画案 [ルネサンス美術]

ヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂計画案
ローマ
1505-14年

ギリシア十字形の集中式平面。コンスタンティヌス大帝が建設した4世紀のバシリカを取り壊し、新聖堂の建設が開始された。教皇ユリウス二世の命による。建設は長期化し、ブラマンテの計画案とはかなり異なるラテン十字形の平面となった。

 

クリストフォーロ・カラドッソ サン・ピエトロ大聖堂起工記念メダル

 


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ブラマンテ、テンピエット [ルネサンス美術]

ドナート・ブラマンテ
ローマ、サン・ピエトロ・イン・モントーリオ聖堂のテンピエット 
1502-14年

ドームとランタンは17世紀。ブラマンテの代表作であり、その建築的理想を表す盛期ルネサンス建築の基準作。テンピエットは、聖ペテロの殉教者記念堂(マルティリウム)であり、使徒聖ペテロが磔刑にされた場所に建設された。後にモントーリオの名で知られるようになった「黄金の丘、すなわちヤニクルム」のペテロ殉教の場所を記念するためにのみ建てられた建築である。古代の周柱式神殿に基づく集中式平面で建設され、『ウィトルウィウスの建築書』における古代のオーダーに関する記述と一致している。

 

 


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レオナルド・ダ・ヴィンチ 『ウィトルーウィウスによる人体比例図』 [ルネサンス美術]

レオナルド・ダ・ヴィンチ 『ウィトルーウィウスによる人体比例図』 1490年頃 ヴァネツィア、アカデミーア美術館蔵

 

『ウィトルーウィウスの建築書』、第三書、第一章

神殿の構成は相称にもとづいている。この理法を建築家は、一生懸命、会得する必要がある。この方法は比例から得られる。・・・・比例は、建物の諸部分、また全体に関して、各々の場合、一定の尺度に従うことにあり、この比例によって相称の原理的方法は実践に移される。なぜならば、調和や比例なしに、いかなる神殿も均整のとれた平面を持ちえない。すなわち、神殿には、調和のとれた人体の各部分に倣って成し遂げられた、正確な比例がなくてはならない…同様に、神殿の各部分は、神殿全体の大きさに適切に合っているそれぞれの部分の寸法を持つべきである・・・・もし人が手と足を伸ばして仰向けに寝かされて、円の中心がその人の膳にあるのなら、手と足は円周に接するだろう。同じように正方形も、形成される・・・・足の裏から頭のてっぺんまでの身長は、伸ばした両手の幅に等しいからである。(東海大学出版会 『ウィトルーウィウスの建築書』より引用)


 

 


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横たわるヴィーナスの系譜 [ルネサンス美術]

横たわるヴィーナスの系譜

15世紀末から16世紀初頭にかけてのヴェネッィア絵画に数多く登場する。

 

GIORGIONE, Sleeping Venus, c.1510, Gemäldegalerie, Dresden

 

TIZIANO, The Venus of Urbino, 1538, Galleria degli Uffizi, Florence

 

Lorenzo LOTTO, Venus and Cupid, 1540, Metropolitan Museum of Art, New York


TIZIANO, Venus with Organist and Cupid, c.1555, Museo del Prado, Madrid

 

その他の図版の入手方法
http://www.wga.hu にアクセス/ENTER HIREをクリック/上部メニューのSEARCHをクリック/TITLE欄に「venus」と入力/Seach!をクリック


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ヴィーナスとマルス [ルネサンス美術]

BOTTICELLI, Venus and Mars, c.1483, National Gallery, London

PIERO DI COSIMO, Venus, Mars, and Cupid, 1490, Staatliche Museen, Berlin

ウェヌス(ヴィーナス)とマルスの主題

(a) 美と武勇の寓意、あるいは愛による闘争の克服の寓意。

(b) 神話画。ホメロスの『オデュッセイア』(8:266-365)とオウィディウスの『転身物語』(4:171-189)を典拠とする。

河出書房新社 『西洋美術解読事典』 参照。

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ヴェロネーゼ 美徳と悪徳の間の若者 参考図版 [ルネサンス美術]

ヴェロネーゼ 美徳と悪徳のあいだの若者 1580-1582年頃(1560-70年代に位置付ける説もある) プラド美術館

 

ヴェロネーゼ 美徳と悪徳のあいだの詩人 1578-1580年頃 ニューヨーク、フリック・コレクション

 

デューラー 別れ道のヘラクラス 1498 ニューヨーク、メトロポリタン美術館

 

カラッチ 別れ道のヘラクレス(ヘラクレスの選択) 1596年頃

 

美徳と悪徳という抽象的な概念を擬人化し、悪徳の擬人像が誘う享楽の道を退け、美徳の擬人像に従って禁欲的で困難な道を選ぶ、というテーマはヘラクレスの物語に由来する。一般に「別れ道のヘラクレス」、あるいは「ヘラクレスの選択」として知られるこの主題は、古代ギリシアのソフィスト、プロディコスが創作したものである。若者の前に二人の女性が現れ、ひとりは扇情的に着飾り、主人公に世俗的な楽しみを全て与えようとする。これは<悪徳>、あるいは<淫欲>の寓意である。しかし、若者は迷った末、衣服で厳格に身を包んだ女性、すなわち<美徳>の指し示す困難な道を歩み始める。それはたいてい岩だらけの細い道として描かれるが、その先には名声を象徴するモティーフが描かれるか、あるいは神々の恩寵が予期されているのである。この寓話は、クセノフォンが著した『ソクラテスの思い出』において語られ、ルネサンスおよびバロック絵画の主題として好まれた。元来、異教起源の挿話であるが、聖バシリウスによって美徳と悪徳との間における魂の葛藤、プシュコマキア(霊魂の戦い)と結びつけられ、キリスト教道徳の視覚化と見なされた。


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