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トラベルスタディ-御礼- [トラベルスタディ]

長崎(上五島) 頭ヶ島教会堂(重要文化財) 内観 鉄川与助設計・施工 大正8年竣工

長崎・上五島へのトラベルスタディにご参加頂きました皆様、本当にありがとうございました。天候にも恵まれ、沢山の写真を撮ることができましたので、このブログで順次公開していきたいと存じます。現像に少々時間がかかりますので、いましばらくお待ちください。なるべく高画質の画像を、と思っておりますが、容量に限りもございますので、CD-Rや各種メディアへのコピーも承ります。気軽にご相談下さい。

皆様とご一緒に念願の上五島を訪れることができ、とても充実した時間を過ごすことができました。旅行中は皆様の温かいご配慮を頂き、たいへん楽しい旅となりましたこと、心より感謝いたしております。ありがとうございました。またお目にかかれる機会を楽しみにしております。

小倉康之拝


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【日本近代教会建築】 横浜天主堂 [トラベルスタディ]

横浜天主堂

正式な名称は横浜の聖心聖堂(L'Eglise du Sacré-Coeur)。文久元年(1862年)献堂。安政五年(1858年)、沖縄で日本語を学んでいたパリ外国宣教会のジラール神父が日本教区長に任命され、翌安政六年、フランス総領事館の通訳兼司祭として日本に入国した。ジラール神父は日本での布教を企て、教会堂の建設を計画した。そして、文久元年、横浜の居留地に開国後初めての天主堂が建設された。


その外観は当時ヨーロッパで主流をしめていた、新古典主義、歴史主義の建築の流れを汲むもので、バシリカ式(ただし身廊側壁に高窓はなかったようである)の聖堂に、古代ギリシア・ローマ風の神殿のファサードが組み合わされ、当時の日本人の目を驚かせた。しかし、その背後に立ちあがる切妻は、背後の身廊の形態を反映しておらず、ルネサンスかバロック建築のような印象も与えている。外観から察する限り、内部は初期キリスト教建築以降の伝統を踏まえた三廊式のプランだったと考えられる。画面奥にはトランセプト(交差廊)らしき張り出し部分も見出される。


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日本近代教会建築 (1)   [トラベルスタディ]

日本近代の教会堂

長崎へのトラベルスタディが終了し、東京に戻って参りました。長崎には幕末・明治・大正期の教会堂が数多く残されていますが、その中でも棟梁建築家鉄川与助の代表作など、たいへん素晴らしい建築を見ることができました。天候に恵まれ、沢山の写真を撮って参りましたので、4月中は西洋中世の建築に関する記事・写真と並行して、長崎の近代教会建築をご紹介していきたいと思います。

ロマネスク、ゴシック、ルネサンス様式などを基調とする日本近代の教会は、基本的には歴史主義(過去の建築様式のリヴァイヴァル)の建築と言えますが、西洋における歴史主義建築の多くが、単に過去の様式を模倣したに過ぎない(中には良いものもありますが・・・)のに対し、何か観る者の心に強く訴えかけるものがあります。それは、長い迫害時代が終わり、ようやく禁教令が解かれた直後、かつて潜伏キリシタンであった人々の「自分たちの教会堂を持ちたい。」という宗教的情熱が建築の精神的な核となっているからではないでしょうか。

苦しい生活の中から資金を出し合い、労働奉仕によって信者が煉瓦を一つ一つ積み上げ、ようやく完成した聖堂は、弾圧と殉教の歴史に終止符を打つキリシタン信仰の記念碑であったと言えます。鉄川与助はキリスト教徒ではありませんでしたが、西洋の建築技術と様式を短期間で自家薬籠中のものとした、進取の精神に富む建築家でした。激動の時代を生きた幕末・明治の元潜伏キリシタン、建築家や大工たち、長崎の信者の救済に生涯を捧げた神父たちが教会堂建設にかけた思いが、私たちの心を捉えます。

拙い写真と文ではありますが、その魅力を少しでもお伝えできればと思います。

 


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ロマネスク・ゴシック美術の旅-ライン河流域の教会堂- [トラベルスタディ]

ロマネスク・ゴシック美術の旅-ライン河流域の教会堂-

まだ長崎へのトラベルスタディが終わっていないのに気が早いのですが、来年度のトラベルスタディを計画しております。9月上旬で検討しておりましたが、ハイシーズンでかなり予算がかかってしまうようです。来年度、3月末がよいのではないかと考えています。

見学予定の教会堂

シュパイヤー大聖堂 

マインツ大聖堂 

ヴォルムス大聖堂 

マリア・ラーハ修道院聖堂

リンブルク・アン・デア・ラーン大聖堂

リンブルク・アン・デア・ハールト修道院聖堂

フラインスハイム(城壁に囲まれた中世の街 )

ゼーバッハ修道院聖堂

ニーダーキルヒェンの教会堂

オッターベルク修道院聖堂

ケルンのロマネスク諸聖堂

アーヘン大聖堂

トリーア大聖堂

アンダーナッハの教会堂

その他検討中


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長崎トラベルスタディ 参考文献 [トラベルスタディ]

トラベルスタディ: 長崎の天主堂とキリシタン史蹟

以下の文献をご紹介致します。全て早大図書館が所蔵しており、5はインターネットや書店でも購入できます。5の『長崎の教会』と遠藤周作の『沈黙』をあらかじめお読みになってからご参加頂くと、より深く建築作品を味わうことができると思います。

1. 永見徳太郎 『長崎の美術史』 夏汀堂, 1927
2. 長崎純心大学博物館編 『長崎のキリシタン遺跡』 長崎純心大学, 2004
3. 太田静六 『長崎の天主堂と九州・山口の西洋館』 理工図書, 1982
4. 前川道郎 「日本の初期カトリック教会堂」 次書収録、前川道郎 『教会建築論叢』 中央公論美術出版, 2002, 323-357
5. 三沢博昭 『大いなる遺産 長崎の教会』 智書房, 2000

以下のホームページは信者の方が作ったもののようですが、長崎の教会を網羅しており、たいへん参考になりました。 http://www1.odn.ne.jp/tomas/

関連記事: http://blog.so-net.ne.jp/yosb/2006-03-09-3


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長崎・上五島の天主堂とキリシタン史蹟 -日本近代教会建築を巡る旅- [トラベルスタディ]

長崎・上五島の天主堂とキリシタン史蹟 

-日本近代教会建築を巡る旅-

旅行日 2006年3月29日(水)~3月31日(金) 3日間

国宝「大浦天主堂」を中心に、長崎市内と外海地区、上五島の教会とキリシタン史蹟を巡ります。1567年、大村純忠の時代に、長崎にはイエズス会宣教師が招かれ、教会堂が次々に造られました。しかし、慶長元年の日本二十六聖人の殉教、その後のキリシタン弾圧の時代に、当時の建築は全て破壊されてしまい、今日では、サント・ドミンゴ教会跡資料館など、断片的な遺構から当時の様子を想像することしかできません。
しかし、信仰は生き続け、250年もの禁制の後、プチジャン神父によって隠れキリシタンが発見され、世界宗教史上の奇跡として世界に報じられたことはよく知られています。
その後、幕末から明治・大正期にかけて、長崎には数多くの教会堂が建設されました。それらは、基本的に、ヨーロッパのロマネスク、ゴシック様式に基づいています。しかし、長崎や五島列島の教会は、単なる模倣の域を越え、日本の風土に適した独自の建築へと発展いきます。今回のトラベル・スタディでは、個人ではなかなか訪れる機会のない上五島の教会群をバスで巡ります。現地で実際の建築を見ながら、日本近代教会建築における様式上の変遷と、象徴的意味の問題について考えましょう。

3月29日(水)
羽田空港----長崎空港----サント・ドミンゴ教会跡資料館----日本26聖人殉教地・記念館----大浦天主堂・旧羅典神学校----長崎港----上五島・鯛ノ浦港----宿舎

3月30日(木)
ホテル----江袋教会堂----青砂ケ浦教会堂----冷水教会堂----大曾教会堂----昼食【有川】----頭ケ島教会堂----鯛の浦教会堂----福見教会堂----中の浦教会堂----鯛之浦港----長崎港----ホテル

3月31日(金)
ホテル----神の島教会堂----黒崎教会堂----遠藤周作文学館----昼食----出津教会堂----長崎県美術館スペイン美術コレクション見学----長崎空港----羽田空港

旅行代金 125,000円 (大人1名, 2名1室)
主催: JTB団体旅行上野支店 担当:遊佐・中村 Tel. 03-3842-5470 営業時間 月~金 9:30~17:30

添乗員:1名  同行講師:小倉康之

一般参加の方も歓迎致します。
 


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