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ケンブリッジの聖墳墓教会(補足) [ロマネスク美術]

修復後の外観

1130年頃「聖墳墓信心会」によって建設された。この信心会(confraternity)に建設用の土地を与えたのが、ラムジーのレイナルド修道院長であり、それは1114年から1130年の間であったとされている。最初は信心会によって運営されていた慈善施設に付属し、巡礼者・旅行者用の礼拝堂として造られたものと推察される。その後、すぐに小教区礼拝堂になり、15世紀にはゴシック様式に基づいて大幅な増改築が行われた。1840年代になると、サルヴィンによる修復が施され、ロマネスク様式(となり、現在に至る。正面扉口、クリアストーリー(高窓列)、ドームなどが復原された部分である。

修復後の内部空間構成 断面図

平面図(修復後)


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ラヴェンナ, サンタポリナーレ・ヌオーヴォ聖堂 -3- [古代・初期キリスト教美術]

■身廊南側側壁のモザイク壁画 (アプシス14→入口26)


14 最後の晩餐


15 ゲッセマネの祈り(オリーブ山でのキリスト)


16 キリストの捕縛とユダの接吻


17 大祭司のもとへキリストの連行


18 大祭司の前のキリスト(大祭司による尋問)


19 ペテロの否認の予告


20 ペテロの否認(と悔恨)


21 ユダの悔悟


22 ピラトの前のキリスト(裁かれるキリスト)


23 十字架を担うキリスト


24 キリストの墓を訪れる聖女たち


25 エマオへの旅


26 トマスの懐疑(弟子たちへの出現)


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ラヴェンナ, サンタポリナーレ・ヌオーヴォ聖堂 -2- [古代・初期キリスト教美術]

■身廊北側側壁のモザイク壁画 (入口01→アプシス13)


01 ベテスダの池(ベデスタにおける中風病みの治癒)


02 悪霊につかれた人の治癒(ゲラサ人の地における)


03 中風病みの治癒(カペナウムにおける足萎えの治癒)


04 羊と山羊を分かつキリスト(マタイ25:31-34)


05 やもめの献金の譬え(マルコ12:38-44)


06 パリサイ人と取税人の譬え(ルカ18:9-14)


07 ラザロの蘇生


08 サマリアの女


09 長血の女の治癒(イエスの服に触れる女)


10 盲人の治癒


11 弟子の召命(奇跡の漁りでは復活後のキリストとして描かれ、キリストも小舟に同乗していることが多い)


12 パンと魚の奇跡


13 カナの婚礼(カナの奇跡)(大幅な修復が施されている。画面右側の人物は修復家による)


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ラヴェンナ, サンタポリナーレ・ヌオーヴォ聖堂 -1- [古代・初期キリスト教美術]

■ラヴェンナ, サンタポリナーレ・ヌオーヴォSant'Apollinare Nuovo聖堂 (テオドリクス王の宮殿付属アリウス派聖堂) 519年頃(493年から526年の間)


創建当初は救世主キリストに捧げられていたが、ビザンティン帝国に東ゴートが滅ぼされた後、聖マルティヌス聖堂となった。9世紀、初代ラヴェンナ司教聖アポリナリスの聖遺物がもたらされて再献堂され、サンタポリナーレ・ヌオーヴォ(新しい聖アポリナリスの聖堂)と改称された。ヌオーヴォ(新しい)とつけるのは、ラヴェンナ近郊、クラッセにあるサンタポリナーレ・イン・クラッセSant'Apollinare in Classe聖堂などと区別するためである。


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ラフレさいたま特別講座 [朝日カルチャーセンター]

朝日カルチャーセンター・朝日新聞社共催 ラフレさいたま特別講座

7/25

イタリア・ルネサンスの楽しみ方

-レオナルド・ダ・ヴィンチの手稿とブラマンテの建築 -  

講師: 小倉 康之

レオナルド・ダ・ヴィンチは手稿と呼ばれる膨大なメモを残しました。そこには集中式建築の図面も描かれています。同時期に活躍した建築家ブラマンテも、集中式の教会堂を手がけました。本講座では、二人の巨匠を中心に、ルネサンス建築の楽しみ方についてお話します。豊富な写真資料によって、二人の作品を鑑賞しましょう。(講師記)

◆ 会 場 ラフレさいたま 5F桃の間 (JR さいたま新都心駅より徒歩 約7分) 

◆ 定 員 130名   

◆ 時 間 7月25日(火)午前10:30~12:00  

◆ 受講料 700円(事前に朝日カルチャーセンター(下記)までお申し込みください)

◆ お問い合わせ  朝日カルチャーセンター事業部  TEL 03-3344-2041


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エルサレムの聖墳墓記念聖堂 [古代・初期キリスト教美術]

328-36年 第一次聖墳墓記念聖堂の建設
1009年   ファーティマ朝のカリフ、ハーキムによる破壊
1047年   ビザンティン皇帝によるアナスタシス円堂の再建
12世紀頃 十字軍による内陣の増築
1808年   火災によって内陣以外はほとんど失われる
1948年   中東戦争において被弾
1949年   再建工事中に再び炎上

7世紀の巡礼者が描いたエルサレムの聖墳墓教会
アイルランドの修道院長 Abt Adamnan vo Hy (ca.624-709)

エルサレムの聖墳墓記念聖堂(11世紀の再建後) 平面図

エルサレムの聖墳墓記念聖堂(11世紀の再建後) 断面図

エルサレムの聖墳墓記念聖堂(11世紀の再建後) 断面図

エルサレムの聖墳墓記念聖堂(11世紀の再建後) アナスタシス円堂の内観

エルサレムの聖墳墓記念聖堂(11世紀の再建後) 内陣部分の内観


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ヴァチカン、サン・ピエトロ旧聖堂 [古代・初期キリスト教美術]

64-68年頃    聖ペテロの殉教。墓の上にガイウスのトロフェーオが作られる
319-322年の間  旧サン・ピエトロ大聖堂 建設開始
324-329年の間  旧サン・ピエトロ大聖堂 ほぼ完成
15世紀          深刻な損傷を被る(?)
1506-1608年    新聖堂の建設に伴い旧聖堂は取り壊される。(身廊の東側部分は残される。ペテロのメモリアの上には保護建築物が建設された。)

コナントによる復原鳥瞰図

ジョヴァナントニオ・ドシオの素描 (1560年頃) 画面奥は建設途中の新聖堂のドーム鼓胴部。

西側ファサード復原図 (製図:小倉康之)

 

復原平面図 (製図:小倉康之、アルファラーノの図面に基づく)

アルファラーノによる平面図

旧サン・ピエトロ大聖堂の建築を特徴付ける最も重要な造形的要素は「貫通型トランセプト」である。

貫通型トランセプトの内壁は、ふつう壁画サイクルによって(時計回り、あるいは反時計回りの動線が設定されていた。一般信者や巡礼者は、この直方体の空間内に配置された「メモリア、石棺、墓所、祭壇」を自由にみてまわることができた。

貫通型トランセプトは、時間によって「霊廟空間」と「典礼空間」とに使い分けられていた。ロマネスクの建築家が旧サン・ピエトロ大聖堂を手本として建築する際には、このような二重の宗教上の機能を前提として、平面構成を考えた。


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