SSブログ

【2006.4.20 参考資料】 スペイン絵画における「無原罪の御宿り」の図像 [早大エクステンションセンター]

この図像は、マリアの母アンナがマリアを宿した際マリアは原罪の汚れをまぬがれていた、つまり、情欲なしにアンナがマリアをみごもったのだという教義を視覚化したものである。三日月は「純潔」を象徴する。そして、「閉ざされた庭」「鏡」は処女性一般の概念を暗示し、「閉じた門」も処女性の隠喩である。以下は聖書におけるこの教義との関連箇所。

■創世記(3:15)

このようなことをしたお前は
あらゆる家畜、あらゆる野の獣の中で
呪われるものとなった。
お前は、生涯這いまわり、塵を食らう。
お前と女、お前の子孫と女の子孫との間に
わたしは敵意を置く。
彼はお前の頭を砕き
お前は彼のかかと砕く。

■雅歌
柘榴の木:「雅歌」を典拠とし、純潔を象徴する。
シュラムのおとめ(中世では聖母マリアと同一視)
「曙のように姿を現すおとめは誰か。
 満月のように美しく、太陽のように輝き
 旗を掲げた軍勢のように恐ろしい。」 (雅歌6:10) 
「わたしはシャロンのばら、野のゆり。」 (雅歌2:1)
「おとめたちの中にいるわたしの恋人は
 茨の中に咲きいでたる百合の花」(雅歌2:2)
「首はみごとに積み上げられたダヴィデの塔」(雅歌4:4)
「恋人よ、あなたはなにもかも美しく、傷はひとつもない。」(雅歌4:7)
「園の泉は命の水を汲むところ」(雅歌4:15)
「わたしの妹、花嫁は、閉ざされた園」(4:12)
「なつめやしの木に登り 甘い実の房をつかんでみたい」(7:9)

■エゼキエル書
閉じた門 (エゼキエル書44:1-2)
主はわたしに言われた。「この門は閉じられたままにしておく。開いてはならない。だれもここを通ってはならない。イスラエルの神、主がここから入られたからである。」

■旧約聖書外典
汚れのない鏡 (旧約聖書外典『ソロモンの知恵』7:26)

■ヨハネ黙示録(12:1) 女と竜

「また、天に大きなしるしが現れた。一人の女が身に太陽をまとい、月を足の下にし、頭には十二の星の冠をかぶっていた。女は身ごもっていたが子を産む痛みと苦しみのために叫んでいた。また、もう一つのしるしが天に現れた。見よ、火のように赤い大きな竜である。これには七つの頭と十本の角があって、その頭に七つの冠をかぶっていた。」

 

El GRECO, The Virgin of the Immaculate Conception, 1608-13

 

 PACHECO, The Immaculate Conception, 1621

フランシスコ・パチェーコ Francisco Pacheco 1564-1644 画家としてセビーリャで活躍。1611年頃、ディエゴ・ベラスケスがパチェーコの工房に入門。ベラスケスはパチェーコの娘と結婚した。パチェーコは、著述家として1649年に『絵画論』を表した。また、異端審問所付美術監督官も務めた。

 

VELÁZQUEZ, The Immaculate Conception, c.1618

 

ZURBARÁN, The Immaculate Conception, 1630-35

 

MURILLO, The Immaculate Conception, 1665-70

 

ANTOLINEZ,  The Immaculate Conception, c.1665

 

他の図版の入手方法
http://www.wga.hu にアクセス/ENTER HIREをクリック/上部メニューのSEARCHをクリック/TITLE欄に「Immaculate Conception」と入力/Seach!をクリック→31件ヒットします。


nice!(0) 

【年表】 長崎の教会堂 [トラベルスタディ]

【年表】


1862 横浜天主堂(文久2)
1865 大浦天主堂(慶応元年)
1879 旧大明寺教会堂(明治12)
1882 江袋教会堂(明治15)
1882 出津教会堂(明治15)
1895 旧浦上天主堂(明治28)
1897 神の島教会堂(明治30)
1902 黒島天主堂(明治35) 
1903 旧鯛の浦教会堂(明治36)
1907 冷水教会堂(明治40)
1908 旧野首天主堂(明治41)
1908 堂崎天主堂(明治41)
1910 青砂ケ浦教会堂(明治43) 
1913 福見教会堂(大正2)
1916 大曾教会堂(大正5)
1919 頭ケ島教会堂(大正8)
1920 黒崎教会堂(大正9)
1925 中の浦教会堂(大正14)
1931 馬込教会堂(昭和6)
1931 平戸教会堂(昭和6)


nice!(0) 

【年表】 長崎のキリシタン [トラベルスタディ]

【年表】

1549 聖フランシスコ・ザビエル、鹿児島に上陸。
1550 平戸にポルトガル船来航。聖フランシスコ・ザビエルが平戸に来る。
1567 長崎にキリシタン伝道。
1568 長崎に最初の教会(トードス・オス・サントス:諸聖人の聖堂)建立。
1571 長崎、ポルトガルに開港。6町を建てる。教会ができる。
1580 大村純忠、長崎と茂木をイエズス会に寄進。
1583 長崎に「ミゼリコルディアの組(慈悲の家)」創立。
1584 有馬晴信、浦上の地をイエズス会に寄進。
1587 豊臣秀吉の九州平定。伴天連追放令を発す。教会破壊。
1590 少年遣欧使節、長崎に帰る。
1592 初めて長崎奉行、長崎代官を置く。秀吉、長崎の教会の破壊を命ずる。
1597 西坂で二十六名が殉教。コレジヨ(大神学校)と印刷所、トードス・オス・サントスに移る。セミナリヨ(中等学校)は1598年頃トードス・オス・サントス(現春徳寺)にあり、後、有馬に移ったが1612年、再びこの地に戻ってきた。
1614 徳川秀忠、キリシタン禁令を下し、宣教師を追放、教会を破壊。有馬領の殉教。
1617 大村領の殉教始まる。
1618 長崎で殉教始まる。
1622 西坂で五十五名が殉教。(元和大殉教)
1626 このころ絵踏始まる。
1627 雲仙地獄の殉教始まる。
1633 「ミゼリコルディアの組(慈悲の家)」解散。
1637 天草・島原の乱。
1641 オランダ人を出島に移す。鎖国の完成。
1644 この頃、小西マンシヨ殉教、日本国内に神父は全くいなくなる。
1657 大村藩郡村でキリシタン603名逮捕(郡崩れ)。
1674 キリシタン禁制の高札立つ。
1708 ジョワンニ・シドッティ潜入、捕らえられる。
1709 新井白石、シドッティを小石川宗門改所で訊問。
1790 浦上でキリシタン19名、密訴により捕縛(浦上一番崩れ)
1839 浦上二番崩れ。
1854 日米和親条約。
1856 浦上二番崩れ。
1859 長崎開港令。
1862 横浜天主堂建立。日本二十六殉教者を列聖。
1865 大浦天主堂建立。浦上信徒名乗り出る(信徒発見)。
1866 プチジャン、日本代牧司教に任命され、香港で司教叙階。
1867 浦上四番崩れ(68名が捕縛される)。
1868 明治維新。五傍の立札掲示、キリシタンを禁ずる。
1873 明治六年、高札撤去。浦上キリシタン釈放。


nice!(0) 

【日本近代教会建築】 神ノ島教会堂  [トラベルスタディ]

神ノ島教会堂

取り急ぎ、画像のみアップロードします。

 

 

 

 


nice!(0) 

【日本近代教会建築】 大曾教会堂 (五島列島) [トラベルスタディ]

大曾教会堂 (長崎県南松浦郡新上五島町/1913年頃-1916年)

大正5年8月献堂された煉瓦造、平屋、桟瓦葺の教会堂。設計、施工は鉄川与助。全体のプランは、長方形の平面。南側に多角形平面(八角形の三辺を切り取った形)のアプシス(主祭室)、北側に正方形プランの鐘塔が一基迫り出す。主空間は7ベイ(柱間)であるが、北側正面(正面玄関)から数えて5ベイ目には、東西にほぼ正方形プランの袖廊が取り付けられている。したがって、外観はラテン十字形となる。正面の塔は、第一層がポルティコ(外気にオープンな玄関間)として機能し、煉瓦を用いた半円アーチが三方を支える。単塔形式のファサードは、いわゆるロンバルディア帯風の装飾帯によって三層に水平分割されているが、ディティールをみると、実は半円形ではなく凸型の装飾である。第二層には円形窓、第三層には半円アーチのロマネスク風の開口部があり、さらにその上には八稜形の小型ドームを戴いている。ロマネスク様式の意匠を用いながら、全体としてはゴシック風の垂直上昇性が表現されており、この時点で棟梁建築家鉄川与助が西洋中世の建築様式、ロマネスクとゴシック様式を自家薬籠中のものとし、自在に操れるようになっていたことがわかる。大曾教会堂のファサードは、同じく鉄川与助の手になる田平教会堂へと引き継がれた。

田平教会堂: http://www1.odn.ne.jp/tomas/tabira.htm

 

大曾教会堂 正面玄関(北側ファサード) 鉄川与助設計・施工 1916年 

 

大曾教会堂 南東側外観 鉄川与助設計・施工 1916年

おそらく司祭の控え室兼聖具室として設計された長方形プラン空間と、そこからそびえ立つ多角形プランのアプシスとの構成が目を引く。これは黒島教会堂など長崎の初期教会堂から引き継がれたものである。ただし、黒島では半円筒形のシリンダー型アプシスであり、上五島では多角形プランが多用されている点が異なる。

黒島教会堂: http://www1.odn.ne.jp/tomas/kurosima.htm (残念ながら左記ホームページにはアプシス外観の写真がありません。三沢博昭 『大いなる遺産 長崎の教会』 智書房、2001年、8頁に図版が掲載されています。)

 

大曾教会堂 内観 鉄川与助設計・施工 1916年

木造のリブヴォールトが美しい。アーチはゴシック風の尖頭形アーチではなく、全て半円アーチ。トリフォリウムは省略されて簡素化されているが、その分、第一円柱の上に第二円柱を重ねた独特の木造オーダーが強調されている。ロマネスクとゴシックを混淆させ、独自の造形を目指した鉄川与助の意欲的な作品だと言うことができる。

 

大曾教会堂 内観 鉄川与助設計・施工 1916年

入口側に階上席があり、そこから祭壇を見下ろす。田平教会堂と外観上は似ているが、内部の立面構成は全く異なっている。

大曾教会堂: http://www1.odn.ne.jp/tomas/ooso.htm


nice!(0) 

【美術建築用語】 小型ギャラリー(続き) [美術・建築用語集]

小型ギャラリー

○Zwerggalerie (dwarf gallery)

  19世紀の建築家ハインリヒ・ヒュプシュが命名?

  日本語訳: 小人ギャラリー(矮小ギャラリー)または小型ギャラリー

関連用語:

○eaves gallery (軒ギャラリー)

○circular gallery (環状ギャラリー)

 

シュパイヤー大聖堂のアプシス 小型ギャラリーの作例

シュパイヤー大聖堂のアプシス 断面図

 

マインツ大聖堂付属二重礼拝堂 外観 小型ギャラリーの作例

 


nice!(0) 

トラベルスタディ-御礼- [トラベルスタディ]

長崎(上五島) 頭ヶ島教会堂(重要文化財) 内観 鉄川与助設計・施工 大正8年竣工

長崎・上五島へのトラベルスタディにご参加頂きました皆様、本当にありがとうございました。天候にも恵まれ、沢山の写真を撮ることができましたので、このブログで順次公開していきたいと存じます。現像に少々時間がかかりますので、いましばらくお待ちください。なるべく高画質の画像を、と思っておりますが、容量に限りもございますので、CD-Rや各種メディアへのコピーも承ります。気軽にご相談下さい。

皆様とご一緒に念願の上五島を訪れることができ、とても充実した時間を過ごすことができました。旅行中は皆様の温かいご配慮を頂き、たいへん楽しい旅となりましたこと、心より感謝いたしております。ありがとうございました。またお目にかかれる機会を楽しみにしております。

小倉康之拝


nice!(0) 

【日本近代教会建築】 横浜天主堂 [トラベルスタディ]

横浜天主堂

正式な名称は横浜の聖心聖堂(L'Eglise du Sacré-Coeur)。文久元年(1862年)献堂。安政五年(1858年)、沖縄で日本語を学んでいたパリ外国宣教会のジラール神父が日本教区長に任命され、翌安政六年、フランス総領事館の通訳兼司祭として日本に入国した。ジラール神父は日本での布教を企て、教会堂の建設を計画した。そして、文久元年、横浜の居留地に開国後初めての天主堂が建設された。


その外観は当時ヨーロッパで主流をしめていた、新古典主義、歴史主義の建築の流れを汲むもので、バシリカ式(ただし身廊側壁に高窓はなかったようである)の聖堂に、古代ギリシア・ローマ風の神殿のファサードが組み合わされ、当時の日本人の目を驚かせた。しかし、その背後に立ちあがる切妻は、背後の身廊の形態を反映しておらず、ルネサンスかバロック建築のような印象も与えている。外観から察する限り、内部は初期キリスト教建築以降の伝統を踏まえた三廊式のプランだったと考えられる。画面奥にはトランセプト(交差廊)らしき張り出し部分も見出される。


nice!(0) 

日本近代教会建築 (1)   [トラベルスタディ]

日本近代の教会堂

長崎へのトラベルスタディが終了し、東京に戻って参りました。長崎には幕末・明治・大正期の教会堂が数多く残されていますが、その中でも棟梁建築家鉄川与助の代表作など、たいへん素晴らしい建築を見ることができました。天候に恵まれ、沢山の写真を撮って参りましたので、4月中は西洋中世の建築に関する記事・写真と並行して、長崎の近代教会建築をご紹介していきたいと思います。

ロマネスク、ゴシック、ルネサンス様式などを基調とする日本近代の教会は、基本的には歴史主義(過去の建築様式のリヴァイヴァル)の建築と言えますが、西洋における歴史主義建築の多くが、単に過去の様式を模倣したに過ぎない(中には良いものもありますが・・・)のに対し、何か観る者の心に強く訴えかけるものがあります。それは、長い迫害時代が終わり、ようやく禁教令が解かれた直後、かつて潜伏キリシタンであった人々の「自分たちの教会堂を持ちたい。」という宗教的情熱が建築の精神的な核となっているからではないでしょうか。

苦しい生活の中から資金を出し合い、労働奉仕によって信者が煉瓦を一つ一つ積み上げ、ようやく完成した聖堂は、弾圧と殉教の歴史に終止符を打つキリシタン信仰の記念碑であったと言えます。鉄川与助はキリスト教徒ではありませんでしたが、西洋の建築技術と様式を短期間で自家薬籠中のものとした、進取の精神に富む建築家でした。激動の時代を生きた幕末・明治の元潜伏キリシタン、建築家や大工たち、長崎の信者の救済に生涯を捧げた神父たちが教会堂建設にかけた思いが、私たちの心を捉えます。

拙い写真と文ではありますが、その魅力を少しでもお伝えできればと思います。

 


nice!(0) 

【早大エクステンションセンター夏講座講義概要】 ゴシックの美術と建築-大聖堂の意味とかたち- [早大エクステンションセンター]

ゴシックの美術と建築-大聖堂の意味とかたち-

曜日: 木曜日
時間: 13:30-15:30
回数: 8回
日程: 7/20-8/17, 8/24-9/14

■到達目標
中世ヨーロッパの建築は、柱や天井などの諸要素が象徴的な意味を担っており、中世の世界観を表現しています。本講座では、大聖堂のシンボリズムを読み解くための手法として、中世美術史の基礎から応用までを系統的に学びます。様式史と図像学の習得により、ゴシック美術の本質に迫ることを目標とします。

■講義概要
パリ、バルセロナ、ウィーンなど、古代・中世以来の都市の多くで街の中心にそびえ立つゴシックの大聖堂を見ることができます。今もその偉容を誇るカテドラルは、近代の芸術家たちにも多大な影響を与えました。中世の美術と建築を理解することは、西洋の精神文化の深層へと至る道の一つだと言うことができます。本講座では、多数の写真を鑑賞し、まずゴシック建築の空間構成を把握します。その上で、ゴシックのステンドグラスや彫刻が、建築の象徴的意味とどのように関わっていたのかを明らかにしていきます。

■各回講義予定
第1回  ロマネスクからゴシックへ -初期ゴシック様式の成立-
第2回  ゴシック建築の構造と様式
第3回  ゴシック建築のシンボリズム
第4回  ゴシック彫刻
第5回  ゴシックのステンドグラス
第6回  ゴシックの工芸
第7回  ゴシックの写本挿絵と壁画
第8回  ゴシックからルネサンスへ -初期ルネサンス様式の成立-

http://www.waseda.jp/extension/


nice!(0)